勉強法

学校の先生が思う勉強する意味とは?【高校教師の意見】

ハイク先生

こんにちは!
高校教師の新堂ハイクです!

あなたは今までの人生で一度は、このようなことを考えたことがあるはずです。

さくら

なんで勉強ってしないといけないの?

このような疑問を、親や学校の先生にぶつけたことがある人もいるでしょう。

そして、きっとこのような答えをもらったと思います。

・将来の選択肢を増やすため
・なりたい職業に就くため
・いい大学に行くため
・お金持ちになるため
・将来苦しい思いをしないようにするため

さくら

言いたいことはわかるけど、どれもピンとこないなぁ。

このような答えをもらって「じゃあ勉強しよう!」と思って納得して行動する人は少ないと思います。

もちろん、これらの答えはすべて正しいことを言っていると教師の僕も思います。

ただ、僕の思う「勉強する意味」は上記の意見とは少し違います。

結論から言いますが、高校教師の僕が考える勉強する意味とは、

人生の要所で真剣に努力できる人間になること

これにつきます。

これを見て「ああ、そういうことか」と納得して勉強に対するモチベーションを上げられる人は、今すぐブラウザを閉じて勉強してください。

さくら

「人生の要所」…?
ちょっと何言ってるか分からない…。

という人はこれから詳しく解説します。

あなたの勉強に対する考え方、ひいては人生を変えるきっかけになるかもしれません。

ぜひ最後までご覧ください。

著者 新堂ハイク 29歳

・現役高校教師 勤続8年(特進クラス担任)
・難関大受験、小論文指導実績500人以上
・教育メディア運営6年(月間10万PV)
・執筆300記事以上、掲載企業50社以上

実際の教育現場にいる現役教師にしか分からない、リアルな情報をお届けします!

勉強する意味は、人生の要所で頑張れる人になること

要所とは「大切なポイント」のことです。

教科書でもテストによく出る重要事項は、太字で書かれていたりしますよね。

人生の中にも「大切なポイント」というものはたくさんあり、それは必ず全員におとずれるものなのです。

では具体的にどのようなものが「人生の要所」なのでしょうか。

受験・就活

これは人生の最初におとずれる代表的な要所です。

勉強するのもこの「受験・就活」のためだと思っている人も多いと思います。

もちろん勉強すれば良い高校、大学、就職先に入ることができ、人生が楽になるのは間違いありません。

ですが、「良い進学先」や「良い就職先」に入ることは、「勉強の副産物」に過ぎないと僕は考えています。

勉強をする意味はもっと先にあるのです。

仕事・結婚

仕事や結婚は人生において、親から離れて自立してからおとずれる要所です。

仕事をしてお金をもらわなければ生活はできないので、ほとんどの人が仕事をすることになります。

また、最近は結婚観も変わっているので一概には言えませんが、結婚もほとんどの人が経験する人生の要所です。

ここでも勉強する意味が関わってきます。

家庭・老後

結婚して家庭ができれば、子どもや孫が生まれ、自分以外の人間の人生に責任を持たなければならなくなる時期が来ます。

こうした遠い未来のことにも勉強する意味が関わってきます。

ハイク先生

これ以外にも人生の中には「頑張らないといけない時」が必ずあります。

「受験・就活」「仕事・結婚」「家庭・老後」と代表的な人生の要所を上げましたが、もちろんこれだけではありません。

日々の生活の中にも「今は頑張らないと!」と思うような場面はいくつもあるはずです。

そしてそれは「生きている限り全員に必ずおとずれる」ものなのです。

さくら

「人生の要所」が何かは分かったけど、それと勉強がどう関わってくるの?

最初にも言いましたが、勉強する意味とは

人生の要所で真剣に努力できる人間になること

このように僕は考えています。

ではなぜ勉強が「人生の要所」に関わってくるのかを説明します。]

なぜ勉強が必要なのか

正直に言って日本史や世界史で覚えた知識や、数学で一生懸命理解した因数分解、理科で苦戦した科学の反応式などは、将来使うことはありません

もちろん専門分野の職に就いた人なら仕事で使いますが、学校で習うすべての教科の知識をフルで必要とする職業はありません

学校の先生だって、担当以外の教科のことは全然わかりません。

さくら

じゃあ、ますます今やってることに意味が分からないんだけど!

それでも学校の勉強に意味はあります。

なぜなら、勉強は平等だからです。

勉強は平等に与えられている

大学入学共通テスト(旧センター試験)の出題範囲は、学校の教科書の範囲内です。

国立二次試験もトップクラスの難関校でない限り、特別な勉強は必要としません。

勉強で結果を出す、つまり「定期テストで上位に入る」「偏差値の高い大学に合格する」ことは誰しもに与えられた平等な権利なのです。

成績の良い悪いは、個人の勉強の結果です。

家柄や生まれで決まっているわけではありません。

特別な才能も必要としません。

学校での勉強は「誰でも頑張れば結果を出すことができる」ものなのです。

結果の出し方が明確に分かっている

テストの教科や日程、出題範囲を公開しない学校はありませんよね。

順位や点数や間違えたところもすべて自分に返ってきますよね。

学校のテストというものは、結果を出す(良い点を取る)ための情報をかなり多く提供してくれているのです。

先生や教科によってテストの出し方も違いますし、問題の難しさも違います。

さらにこれらの情報は平等に与えられています。

ここまで親切に結果を出す方法を提示してくれることなんて、社会に出たらまずありえません。

学校の勉強やテストは努力の練習

あらゆる条件が平等なのが、学校のテストであり勉強です。

ここで自分に合った勉強の仕方や、努力の仕方を学んでいくのです。

例えば、日本史の勉強を頑張って100点を取った人がいるとします。

この人が得たものは「日本史の知識」だけではありません。

・自分に合った暗記の仕方
・100点という成功体験
・勉強を頑張ったという経験

これらの方が「日本史のテストで100点を取った」という事実よりも大切なのです。

この人はこの先の人生の要所においても「頑張って結果を出した」という経験の元、逃げずに立ち向かうことができます

つまり

学校の勉強という平等に与えられたものに対して、逃げずに立ち向かった人とそうでない人は、「人生の要所」でも大きな差が出る

ということです。

もし勉強以外で結果を出しているなら話は別です。

・部活やスポーツ
・音楽などの芸術系
・俳優やタレント

こういったことで努力をして結果を出している人は、勉強で結果を出すのと同じくらい素晴らしいことなので勉強ができなくても大丈夫です。

ただ、「勉強でも勉強以外でも何も結果を出していない」人にとって社会は厳しいです。

では、勉強に向き合わず逃げてしまったらどうなるかを説明します。

真剣に努力できないとどうなる?

では勉強から逃げてしまうとどうなるのでしょうか。

人間は楽な方向へ流されてしまう生き物で、そこに現代の様々な娯楽による誘惑が合わされば、意志の弱い人は勉強から逃げ出してしまいます。

高校・大学からは学力によって、偏差値の低い学校から高い学校まで入学者が振り分けられ、ここで明確に差が出始めます。

勉強以外でも結果が出せず、勉強でも結果が出せずに低い偏差値帯の学校に入ってしまうとどうなるのでしょうか。

望んだものは手に入らない

現実を包み隠さずに言うと、低偏差値帯の学校は校則が厳しいところが多く、理想の学校生活を手に入れるのが難しくなります。

さらに、「努力を放棄した人」が集まるので意識が低く、周りに流されやすい人が多いです。

「努力する人」をバカにしたり、邪魔をしてくる人がいる場合もあります。

そんな環境にいると、どんどん努力しずらくなっていき、良い環境に行くための気持ちや能力も奪われていきます。

努力した人と差が開く

勉強は頑張れば頑張っただけ結果が付いてくるものです。

反対に言えば、頑張らなかったらそれ相応の結果になるということです。

努力できる人と努力できない人はどんどん差が付きます。

学校にいるうちはよく分からないかもしれませんが、社会人になり家庭を持つような年齢になるとその差ははっきり分かるようになります。

取り返せない年齢になってから後悔する

人間は年をとればとるほど努力できなくなっていきます。

小学校の頃を思い出してほしいのですが、10人いれば8、9人は頑張っていましたよね。

中学高校大学と進むごとに「頑張る人」は少なくなっていきます。

社会人になるともっと少なくなります。

30歳を超えたあたりで、頑張っている人の人生と頑張ってこなかった人の人生の明暗がくっきりとしてきますが後悔しても努力することはもうできません。

「努力の仕方」が分からないからです。

さくら

なんとなく勉強はしないといけないってわかったけど、勉強は嫌いだなぁ…。

それでも勉強は嫌いです…。

勉強は平等だからこそ頑張る人と頑張らない人の差がはっきりと別れ、どんどん人生の要所で努力できなくなっていくことが分かったと思います。

「それでも勉強は嫌いです。やりたくないです。」

そういうあなたに足りていないのは、学力や勉強習慣ではなく、「成功体験」です。

勉強が嫌いな理由のほとんどは「できないから」ですよね。

できないから、やりたくない。

今までできなかったことが、すぐにできるようになる未来が見えない。

だから「勉強しても無駄だ」という考えになり、勉強をしなくなり、勉強ができなくなり、嫌いになる。

その流れをどこかで断ち切らなければ一生勉強ができないままです。

断ち切るためには、「成功体験」が必要です。

勉強を好きになるには?

勉強嫌いになる流れを断ち切って、勉強を好きになるには「成功体験」が必要です。

「成功体験」とはそのまま「何かに努力して成功する」ことです。

この体験が「自分はやればできる!」という自信につながり、次の成功体験を生みます。

手っ取り早く成功体験を得るには、定期テストで1教科に絞ってめちゃくちゃ勉強してください。

他の教科がボロボロでもかまいません。

1教科でも何かに絞って頑張るということが大切です。

他がダメでも自分が狙いを定めた教科で結果が出ればそれは「成功」と言えます。

こうしたほんの少しの成功を積み上げていってください。

まとめ

勉強する意味は「人生の要所で真剣に努力できる人間になるため」です。

なぜなら勉強は誰しもに平等で与えられた権利なので、努力する人と努力できない人に大きな差がつくからです。

人生には必ず「頑張らないといけない時」が来ます。

その「人生の要所」で頑張れる人は、学校で勉強を頑張った人です。

それでも勉強が嫌いで頑張れないという人は、小さくてもいいので成功体験を積み上げてください。

あなたが学生ならまだまだこれから努力すれば大丈夫です。

来るべき「人生の要所」に備えて今日も頑張りましょう。

新堂ハイク

以上で本記事は終了です!

さくら

最後までご覧いただきありがとうございました!